わらはべの瞳になりてみづからのたましひを撞き天に憧る
漢字には、いうまでもなく、偏と旁がある。偏には意味がある。「瞳」は「目」偏である。「撞」は「手」偏である。「憧」は「立心」偏である。三文字に同じく用いられている旁の「童」はドウの音を示す。意味はないということらしいが、私は「童」の字の意味を楽しむ。つまり、童(わらはべ)の純粋の瞳となって、自分の魂を撞き動かし。はるかな天に憧れる。お正月くらいは、そんな童にかえりたい。
作者/伊藤一彦(いとうかずひこ)
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1943年、宮崎市生まれ。「心の花」会員。「現代短歌 南の会」代表。若山牧水記念文学館長。読売文学賞、寺山修司短歌賞、迢空賞、斎藤茂吉短歌文学賞など受賞多数。
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