夜深きにきいんきいんと鳴く鹿の声よかなしも雌雄とふいのち
鹿の声は『万葉集』に詠まれ、その伝統は『古今集』『新古今集』と受け継がれている。名歌も多い。山間に暮らしている者以外は夜の牡鹿の声を聞くことがまれになった。わたしもそうである。これまで聞いた鹿の声でもっとも忘れがたいのは椎葉の民宿にひとりで泊まっていたときに聞いた声である。妻恋いの切ない声に身も心も引き裂かれるようだった。「あかときをきいんきいんと艶めける牡鹿の声よ近くて遠し」「鹿のこゑ途切れしのちの暁闇に眼を凝らしゐつ恋覗くがに」(『日の鬼の棲む』所収)の歌をやっと作ったが、歌いきれない思いだったことを今でもよく覚えている。久永さんの病院に鹿が連れられてくることはありませんか。
作者/伊藤一彦(いとうかずひこ)
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1943年、宮崎市生まれ。「心の花」会員。「現代短歌 南の会」代表。若山牧水記念文学館長。読売文学賞、寺山修司短歌賞、迢空賞、斎藤茂吉短歌文学賞など受賞多数。
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